生きていく希望が欲しい

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「私にも、生きていく希望が欲しい」

昨日、母が私にそう訴えました。
生きていくための、希望が欲しい。
私も前を向いて歩いていくための、希望が欲しい。
「生きがい」が欲しい、と…。


そんな母の気持ちを聞くのは
多発性筋炎になってからは初めてのことで…
母の気持ちを思うと、胸が詰まりそうになりました。


そうだね。。。
希望って、大事だよね。



きっかけとなったのは、母に入った1本の電話。
仕事の依頼でした。

母は…特別な仕事をしています。
期間限定で、単発のときもあれば
1~2ヶ月、長ければ3ヶ月ほど長期になることも。

だいたいは1週間~2週間ぐらいのことが多いのですが
今回はどなたか同業者のピンチヒッターということで
3日間だけの仕事でした。

でも。
この仕事がやっかいで…

まず朝から晩までしゃべりっぱなし。
休憩はトイレ&食事休憩のみ。
一日中車で移動し、休む暇はありません。


私が小さいころからやっている仕事
朝はひどいときは6時ごろから出かけていき、
帰りが11時とか…
ともかくハードな仕事なんです。


その仕事を…3日だけしたいという。

どうしても断れない人からの依頼で、
仕事に復帰することが自分の夢だったし
仕事の時は絶対体調がいいから
(母の発症はどうやらずいぶんさかのぼってのことらしいのですが
 なぜか仕事中だけは気が張っているのか
 体調を崩すことがありませんでした)
絶対やれる、絶対やりたい。

そう、言うのです。


真っ先に反対したのは、普段穏やかで声を荒げることのない、
母の一番の理解者である父でした。


そりゃそうですよね…退院してまだ1ヵ月も経ってない。
退院後、体調を崩すことも多く、
家事は食事の準備と買い物以外は全部父がやってて
(買い物は父が同伴ですが)
運動に近所を散歩させる以外はずっと
大事に大事に囲って安静にさせてきたのに、
いきなり明日から仕事したい、なんて言われたら
怒るの当り前ですよね…


父に怒られ、2階に上がって行かれたので
母が困って電話してきたんです。

母、2階には上がらないんです。
上がらないというか上がれないというか…
階段きついので、生活はすべて1階でさせてて。


母から事情を聞いて、私もすぐに反対だと言いました。

まだ退院してから1カ月しかたってないこと。
最初の外来診察も受けてないこと。
仕事があまりにもハードで、体にかかる負担を考えると
とてもじゃないけど賛成はできないこと。


でも…母の気持ちは変わらなかった。



仕事は、ずっと母の生きがいでした。
プレドニンで顔がパンパンに腫れて…
何より気にしたことは、仕事ができないことでした。

顔なんて気にしなきゃなんてことないし
体調さえ安定してくれば、仕事はいつだって復帰できる。
そう何度も説得したけれど、
母は頑固に、「もう仕事ができなくなった」と嘆きました。

体調が安定しないことに対する不安と
自分の顔も体も、以前とは違っていて
もとに戻らないかもしれないという不安。
いろんなことが重なっていたと思います。
そして何より、未来が見えてなかった。
明日はよくなるかもしれないという気持ちも持ててなかったし、
病気がよくなる、ということも考えられなかったんだと思います。

仕事はできない。
そう諦めるのに3ヶ月かかり…
先週来た時に、仕事はもう諦めた。引退する。
そう、私に宣言したばかりでした。


でもやっぱり、諦められなかったんだね。
生きがいなんだもん、そう簡単には手放せないよね。



母の気持ちが痛いほどわかったから…母に条件を出しました。

病院に行って、診察をしてもらうこと。
今の日常生活が、体にどれぐらいの負担がかかっているか、
つまり数値が極端に変化してないか、診てもらうこと。
決して、無理はしないこと。

そして何より、父の許可をもらうこと。
誰より心配している父に、理解をしてもらうこと。
そしたら応援してあげる。
そう言って電話を切りました。


その日、電話は二度と鳴らなかった。




次の日。母に電話をしました。

お父さんに分かってもらえた?
そう聞くと、母は黙ったまま。。。
ただ、病院に行くから準備してる。そう言いました。

父は怒ったまま口をきいてくれないらしく…
それでも病院に行くなら車を出してやる、と行ってくれたらしくて
昨日、昼ごろこちらに到着しました。

実家からここまで車で2時間。
退院してからずっと車の運転は父がしています。
(それまでは母オンリーだったw)


うちに来た時の父も、ものすごく不機嫌で…
私が話しかけてもあまり返事もしてくれなくて。


でも。

運よく主治医の先生がつかまり、診察してもらうと
血液検査の結果もGOOD。
プレも減量してもらえるということで…!

父もようやく、許す気になったみたいです。


で。

母は今日、仕事に行きました。
往復の移動がないように、泊りがけです。
行きは父が送って行きました。
土曜日、夜仕事が終わる時間に私が迎えに行きます。

重々言い聞かせて、行かせました。
無理はしないこと。薬をきちんと飲むこと。

最高の笑顔で、出ていきました。

それが、なんだかとても嬉しかった。
久しぶりに見た、母のとびきりの笑顔。
とても嬉しかったです。



この復帰が、どう転ぶかはやってみないと分からない。

もしかしたら、体調を崩し、
やっぱり仕事の復帰は無理だった、と
逆に落ち込ませてしまうかもしれない。

踏ん張って、踏ん張って、無事やり終えて、
新たな希望を手にできるかもしれない。


うまく終えられればいい。

でも、もし終えられなくても、
仕事ができた。仕事をしたいという気持ちになれた。
そういう希望を、それが束の間の希望でも
母に持たせてあげられたことは、
絶対に絶対にこの先、いい影響を与えてくれると思う。



父の気持ちを思うと胸が痛いけど…
母のために、3日、目をつぶってほしいなって思います。




生きていく希望。

ふと思いました。
娘を亡くしたあの日、私の生きる希望は、
頑張ればまた次の赤ちゃんをこの腕に抱ける。
ただそれだけでした。
あの子をもう一度この手に。
その思いだけで、生きてた。

あれからもうすぐ、5年になります。
私の今の生きる希望は…一体何だろう?

まだ、望む赤ちゃんをこの手に抱けないまま、
時間だけが過ぎていきます。

もうすぐ5年。
もうそろそろ、頑張らなくてもいいのかもしれません。


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関連タグ : 多発性筋炎症, 仕事, 復帰,

コメント
この記事へのコメント
本当にお母様の気持ちも、asuraさんやお父様の想いも分かるだけに、何とも一言では言えませんが・・・・・。

私も入院中はいろいろ考えました。
入院当初は、とにかく寿命を突きつけられた感じで怖くて怖くて、このまま息が出来なくなって死んでしまう・・・・・・ずっと頭からその事が離れませんでした。
でも、少し落ち着いてくると、今度は、もう歌えないんじゃないか・・・・・・・ずっと考えてました。
歌えなくなったら、何のために生き続けるのか???
こんな事、妹ちんに言ったら怒鳴られる。生きてなきゃアカンねんって。
でも、今まで、それこそ色んなものを犠牲にしてまでも歌い続けてきた私にとっては、これもまた死活問題でした。
最初、主治医さんに『来年には本番入れてもいいですよね?』って聞いても、『この病気は、来年の事は言ってあげられません。』ってしか言ってもらえませんでした。
でも、あんまり私が言い続けたからか、退院後の経過が良かったせいか。
『歌ってみますか?』と言われた時の喜びは忘れられません!
今日の診察の時も、開口一番『歌ってますか?』でした。
何をしたら病状が進むか・・・何が良くて何が悪いのか、よく分かりませんが、ドクターストップがかかるまでは好きな事をしようと思っています。
とりとめのない話でごめんなさい。
2010/01/21(木) 18:59 | URL | ほんちゃん。 #5sANBeGo[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/01/24(日) 18:25 | | #[ 編集]
ほんちゃん。さん、お気持ち聞かせてくれてありがとうございます。
好きなことを楽しむ権利は誰にだってあるもの。。。
病気になったからって、諦められませんよね!
母は頑張って仕事をやり遂げました。
幸せそうに帰ってきて、体調も変わりないようです。
好きなことをしながら病気と向き合っていけるように
家族みんなでフォローしていけたらいいなと改めて思いました。
いつもありがとうございます。
ほんちゃん。さんもずっとずっと歌い続けていけますように!
2010/01/24(日) 23:28 | URL | asura #-[ 編集]
鍵付きコメントをくださった方へ

コメントありがとうございました。
母は無事に仕事を終えて帰ってきました。
よいきっかけと気づきを、本人だけでなく家族にも与えてくれたと思います。
あまりにハードな仕事なので、本格的に復帰するのはまだ無理だと思いますが
期間や時間を見ながら、一部のみ復帰することは可能なように思えました。
母やクライアントと相談しながら、母にできることを続けていけるように
家族としてもフォローしていきたいと思います。
ありがとうございました。

> 初めまして、いつも見させて頂いてましたが、私も昨年の6月に多発筋炎と間質性肺炎の治療のため二ヶ月入院しその後二ヵ月半自宅療養仕事復帰しました。もちろん個人差がありますが、立ち仕事でなければ数値さえ落ち着けば目の前の希望である仕事は充分お母様の心を癒してくれると思います。主人にも娘にもまた母にも内緒で耳に涙を溜めた病室での夜。絶対に二度と戻りたくない場所なので、無理をしないで自分の体一番で過ごしてます。お母様が早く御自分のペースを掴む事ができますように。
2010/01/24(日) 23:32 | URL | asura #-[ 編集]
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